弱者の戦略

うつ病
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~このブログは、仕事が原因で適応障害という精神疾患となり、ぼちぼち悶絶しているダメリーマンの物語である~

「弱者の戦略」

・・・残酷な話だけど、どんな側面においても、「強者」「弱者」は存在する。

それは、経済的なものであったり、社会的地位であったり・・あらゆる場面において「強き者」「弱き者」とが存在する。そしてそれは、精神の世界においても。

そんな僕は、間違いなく「精神弱者」だ。

些細なことで傷ついてしまったり、人からすれば、何でもないようなことが、緊張して、うまくできなくなったり、ほんの少しのトラブルが、あとあと何日も、いや、何年も尾を引いて、思い出しては嫌な気持ちがよみがえってきたり、そんなふうに、体はつねに強張ってるから、泥のように疲れ果ててしまったり・・

僕は、弱い人間である。

だから、超少ない精神パワーを、なるべく減らさないように、おびえながら生きているってのが、ほんとだ。

ある日突然、何事にも動じない、強靭な精神をもつ、鋼メンタルの「精神強者」になれたらいいな、と願うけど、もちろんそんなことは起こらない。

じゃあ、この豆腐メンタルをかかえた精神弱者が、生きていくにはどうすれば?

なんて悩んでいた、そのとき、ふと、

「弱者の戦略」

という言葉を思い出して。それは、ビジネス系の研修で、勉強したことのある、ある経営戦略だった。

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「弱者の戦略」

その研修とは「ランチェスター経営戦略」と呼ばれるもので、ビジネスの、第一線の世界でお仕事されてた方なら、ご存じの方もいるかもしれない。

ビジネス・経営の世界も、「強者」と「弱者」とに分かれている。同じ業界において、強者である大企業がいて、そのいっぽうで、中小零細企業、つまり「弱者」がいて。

この、ランチェスター戦略は、弱者、つまり「弱き者」は、どう戦っていくべきか、をテーマに研究された経営理論である。

そこで語られていた経営戦略とは。

まず、「強者の戦略」、強い者の戦い方は、重装備、全体主義、拡大主義だ。店舗を増やし、従業員を増やし、幅広い地域、幅広い顧客層をキャッチするべく、拡大路線へと進むが・・

じゃあ、弱者はどうすべきかというと、

この逆を行けばよい

軽装備、つまり、無駄な店舗は閉め、従業員数も最小限で。

そして、もっとも重要なのが、全体主義ではなく、部分主義。つまり、

「セグメント=限定化」

なのだと。どういうことかというと、大企業、つまり「強者」は、全体主義だ。幅広い地域、幅広い顧客、幅広いニーズをカバーしようとするのに対して、

弱者は、一点集中!

販売地域を限定し、ターゲット・顧客層を限定し、ニーズを限定する。

エリアのセグメント化、つまり、「ウチは〇〇市だけで売り上げを上げる!他の地域は、捨てる!」とか、顧客層・ニーズのセグメント化、「ウチは、若年層もシニア層も捨てる、30~40台のお客様が求めるもの、それだけを販売する!」とか。

こうしたセグメント化、つまり、一点集中こそが、弱者の戦略なのだと。

そうして、その一点をクリアしたら、次の「部分」を決めて、また進む、これを繰り返せばよい、と。

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よく「高級食パン専門店」とか見かけるけど、あれぞまさしく、セグメント化だ。「ウチは食パンも菓子パンも焼きたてパンもあります!いろんなパンを販売してます!」とはやらない。そうじゃなくて、ウチは食パンだけ、それも高級なものだけを取り扱う、それだけに集中する!とか、まさにそれ。

・・・でこれは、あくまで経営、ビジネスの世界でのお話なのだけど、

僕は、ここで語られている弱者の戦略は、

僕のような「精神弱者の戦略」として、大いに活用できるものだと思っている。

たとえば・・・こんな感じに。

以前のブログで、こんなイラストを使った。「僕」という存在は、会社員である時間が長いけど、それ以外にも、たくさんの顔がある、人の親であり息子であり、どうぶつたちの飼い主であり・・・

そして、これらの「顔」ぜ~んぶを、上手くやろうとするのは、強者の戦略だ。

けど、そうじゃなくて、弱者の戦略は、セグメント化。僕のいろんな顔を、いったん、黒板消しで、ひとつひとつ消していく。

もちろん、ほんとに肉親や家族と縁を切るのではなく、アタマの中で、それを外していく。そして、すべての「顔」を取り外して、最後に残る、自分自身という存在、自分の生命に集中する。ここまでセグメント化する。

それは、究極のセグメント化、つまり、

まず自分自身が生きること。それだけを目標に。

決して欲張らず、生きる以外のコマンドを捨てる。

僕自身、振り返ってみると、去年の7月がちょうどこれと同じだった。経験のある方も多いと思うけど、希死念慮。何度も何度も、この黒い波がやってきて、それに飲まれそうになったことが、何回もある。

だから、他の顔は、いったん捨てた。どんなに醜くとも、どんなに恥をかこうとも、良い父でなくとも、良い夫でなくとも、とにかく、

生きて呼吸をすること。それだけでいい。

全部うまくやろうなんて考えるのをやめる。

そんなふうに、自分自身をセグメント化した。

けど、その自分の生命だけは、

何が何でも守り通す!

と、そう決めて。

やばくなったら日中は薬をのみ、夜はお酒を飲んだ。今はこれでいい、とりあえず、生きてさえいればいい。今はそれだけできればいい。

そうやって、究極までセグメント化した、自分の生命は、どうにか守り通すことができた。だから、次の「部分」を決めて、今は、それに向けてゆっくりと進んでいる。

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さっきも言ったように、他の顔を捨てたわけじゃない、他の人との関係性を絶ってはいない。まずは生命の安全を確保して、それができたら、次の部分である「目標1」に取り掛かる、と、そう決めてる。

だから、ゴメンけど、他の「顔」は、いったん諦める。というか、他の顔がうまくいくかどうかは、風に任したんよ。

当初のセグメント「自分の生命を守る」、それがクリアできたら、次なる目標地点にゆくこと、それだけを考える。それ以外は、望まない。

えー。

なんか、リッパなこと言っているように聞こえた?そう、僕は、当たり前のことを、もっともらしく語るという、無駄な才能があるのだ。そして、もしこれがリッパだと感じた人がいたとしたら、これを読んでいるあなたも、十分、立派なのである。

だって、こうして生きてるでしょ?

生きてるからこそ、こうして、こんなクソ長いブログを読んで下さってるわけなのだ。これこそ、第一のセグメント、自分自身の生命を守り通した、あなたは、たとえどんなに惨めになったとしても、それだけはやらなかった。立派に命を守り通したのだから。

じゃあ、守り通したその命で、次の目標を、

「いっこだけ」決めてみては!

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当ブログでは、生きるのにちょびっとだけ疲れた人の心がちょびっとだけ回復するような記事を投稿しています!興味のある記事がありましたらぜひお読みください!

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