うつ病経験者が人にやさしい理由

うつ病
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~このブログは、仕事が原因で適応障害という精神疾患となり、今なお悶絶中のダメリーマンの物語である~

「うつ病経験者が人にやさしい理由」

よく、うつ病をはじめとした精神疾患を経験されたことのある人は、みんないたわりの心を持ったやさしい人たちばかりって聞くし、僕もほんとにそう思う。

じゃあ、なんでだろう?って考えると・・・

ひとつは、精神疾患になる人は、もともと人の気持ちがわかりすぎるくらいわかる、そんな繊細で過敏な心を持っていて、いつも自分のことより人のことを優先してしまう性格、だから、残念ながら心が疲れてしまいやすい、ってのはあると思う。

で、もうひとつ。これはあくまで僕の考えだけれども、

精神疾患によって、子供がえりをしてきたから

なんじゃないかな?って思ってる。

産まれなおした、って言ってもいいかも知れない。

・・・これは、村上龍さんの小説「キョウコ」のなかの、ある人物のセリフ。

「大人には二種類のタイプがいる。

1つは、子供時代と今とが分断されている人で、もう1つは、子供時代と今が繋がっている人だ。」

・・・という。20年以上前に読んだこの小説だけど、この言葉は、今でもはっきりと覚えている。

当たり前だけど、40歳の状態で生まれてくる人なんていない。人間だれしも、とうぜん子供時代があったはずで、その、かつての子供時代って、大人になった今とは違い、誰だって、無力で、非力で、弱い存在だったはずだ。

そんな、弱かった子供時代をちゃんと覚えてて、それが今と繋がってる人は、子供の気持ちがよーくわかるし、だからこそ誰にだってやさしくできるけど、ほとんどの大人はそうじゃない。かつての弱かった頃の自分を忘れている、無力だった子供時代と、大人になった今とが完全に分断している。

だから、子供の気持ちを考えず「なんでできないんだ!」って怒り、子供の気持ちを無視して大人の都合を押しつける。そんなふうに、弱い人の気持ちがわからないのは、子供時代と今とが分断されてるからだって。

・・・で、はじめてこのセリフを読んだとき、正直言って、僕は後者だなって思った。確かにこのセリフの通り、今ではもう、弱かった少年時代を忘れかけてて、自分は昔からずっとこうだった、とそう思ってるな、と気が付いたのだ。

で、さいしょの僕の推測である「子供がえり」ってのは、病気を経験することで、いちど子供時代に戻ってきたのかな?って、そう思うことがある。

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たとえば・・・

この2枚の写真を見て欲しい。これは、僕が紅葉を見にいったときに、何気なくスマホカメラで撮影したものだけど・・・

この一枚目の写真。この写真の、特に「道幅」をよく見ておいて欲しい。それから、もう一枚が・・・

おわかりいだだけるだろうか?こっちのほうが、道はずっと広く、橋の向こうはずっと遠く、あの赤い鉄骨の物体はより巨大に見えると思う。だけど、1枚目と2枚目、じつは同じ場所に立って撮影してる。

違うのは「視点」だ。1枚目は普通に立って撮影してる、つまり「大人目線」だ。2枚目はしゃがんで、地面から70cmくらいの視点から撮影してる、これは「子供目線」。

ただ、視点の高さを変えるだけで、まったく同じ場所が、こうも違って見えるもの。子供は大人よりも、色んなモノが大きく、遠く、そして巨大に見えている。そして、僕たちにもこの子供目線の時代は確かにあった。

これは、目に見えるものだけじゃない。あらゆるものの感じ方もそうで、大人になった今では、何でもないようなことが、子供の頃はとても怖かったし、嫌だったし、恐ろしかった。

今ではなんの苦労もなくできることだけど、子供の頃はそれができなくて、もう逃げたしたくてたまらなかった、そんなことって、思い返せばたくさんある。

で、精神疾患てのは、まるでそんな子供時代に戻ったかのようだった。なぜか心がとても過敏になってしまって、そのせいで、人のちょっとした言動がとても怖く感じたり、未来のことを考えただけで恐ろしくなったり、些細なことで、思わず涙がこみあげてきた。

まるで、あの非力で無力だった少年時代のように。

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そんな精神疾患の症状なんて、そりゃもう辛いなんてもんじゃないけど、それはまるで子供がえり、つまりそうやってもう一度子供時代を体験して、今度は「子供の頃と今とがつながった大人」になったんじゃないかな。

子供時代と今がつながってる人は、無力だったあの頃をちゃんと知ってる。非力だったあの頃をよく覚えてる。自分はかつて、あんなにも弱かったし、あんなにも惨めだった、そのことをよーくわかっている。自分は弱い存在だと知ってるから、だからこそ、誰にでもやさしくなれるし、誰よりも人の痛みをわかってあげられる。

僕が思う、精神疾患の経験者が人にやさしい理由って、これだと思う。子供がえり、産まれなおし、そうやって得られる、人間としての成長。人生でこんなことを体験できる人はなかなかいないだろう。

病気になりたての頃って、この適応障害が嫌で嫌で、以前に戻りたい・・・ってそれしか考えなかったけど、今こうして思えば、病気によって得られたものって、じつはけっこう大きいんじゃないかな?って思ってます。

☆最後までお読みくださって、ありがとうございます!☆

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コメント

  1. 七星文 より:

    こんにちは😃

    うつ病や適応障害になった人は、その苦しみや痛みを経験したからこそ、人の痛みも敏感に感じられるようになるのだと思います。

    だから、相手が嫌なことも敏感に感じ取れるし、その嫌なことは相手にもしないようにしようと思うものだと思っています。

    かくひさんの言葉で言えば感情豊かな子供に戻るのかもしれませんね。

    その優しさは、いつまで持続できるのかは分かりませんが、社会人慣れしてしまい優しさを忘れない人間でいたいですね。

    じゃあね👋

    • kakuhi-ts より:

      七星文さん☆☆☆☆☆☆☆お読みくださって嬉しいです♫コメントありがとうございます!

      返信遅くなってごめんなさい💦

      そう!まさしくそれですね!感情の振れ幅が大きくなる、というか。何でもないはずのことがとても巨大で困難なことのように思えてしまう、振り返ってみると、おっしゃる通りまるで感情豊かな子供に戻ったようでした。だから、今までの経験では想像つかなかった人の痛みや苦しみがわかるようになる、病気を経験すると、そんな人になっていくのかな、なんてブロ友さんたちを見ててそう思いましたね。

      それから、そういう人たちに多く出会えるのはとても幸福なことだと思います。やっぱり、子供時代と今とが分断されてしまってる、あんまり優しくない人も多い中、そんな人は、誰かの心の支えになっていくでしょうね!このブログがまさしくそうですね!

      七星文さん☆☆☆☆☆☆☆
      いつもありがとうございます☆感謝してます♫

  2. 沼田晃歩 より:

    こんばんは😊

    私も子供時代と今がつながっているタイプですね。
    っていうか子供のまんまな気がしています(笑)

    昔読んだマンガの「あれもこれもとできるようになったからといって、何ひとつできなかったときのことを忘れるな」というセリフがとても好きです。
    確かに無力だったはずなのに、力がついてくると忘れちゃうんですね。

    私はこの先も強くなれそうにないので、弱いまま生きていきます。

    • kakuhi-ts より:

      沼田さー---ん!!!!!
      いつもお読みくださってありがとうございます☆コメント嬉しいです♫

      返信遅くなってごめんなさい💦

      >「あれもこれもとできるようになったからといって、何ひとつできなかったときのことを忘れるな」
      これ、まさにおんなじ意味ですよね☆これ、本編では大人と子供の対比で表現しましたけども、たとえば新入社員とベテラン社員もまさにそうですよね。ベテランは新人時代を忘れ、なんこんな簡単なことがでできないんだ!って怒ってばっかりの人も多いけど、かつては自分もそうだったはずなんです。マニュアルも作らず何も教えず行かせるなんて、まさに新人時代と今とが分断されてる、典型的なタイプですよ!

      そうじゃなくて、新人時代と今、子供時代と今がちゃんと繋がってる人と関わりたいものです。

      沼田さん!!!
      いつもありがとうございます☆感謝してます♫