「苦痛信仰」から脱却しよう!

うつ病
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「苦痛信仰から脱却しよう!」

小学生のころ、運動会で「組体操」ってのをやったことがある人も多いと思う。で、最後のフィナーレ的なノリで「人間ピラミッド」みたいなことやったりして。

で、僕はあの人間ピラミッドが大嫌いだった💧たとえ友達とはいえ、人と密着するのが嫌だったし、僕はちびだったので、いつもピラミッドの頂上役だった。

はたからみれば、あの頂上役はラクに見えるけど、あそこはあそこで、じつは、めちゃくちゃしんどいのである💀

頂上役の僕がてっぺんに上るのは、まさにクライマックスだ。だから絶対に失敗できない💦っていう大きなプレッシャーがある。頂上に上るのも、友達の背中を踏んづけながらだ…それは普通の階段とはワケがちがう、生身の人間なのだ・・・

ピラミッドはつねにユラユラ揺れてるし、痛みで震えてる子もいて、その震えさえも、肌越しにしっかり伝わってくる。そして、上まで上りつめたら、それはものすごい高さで・・・

もし、下にいる友達の、誰か一人でも崩れてしまったら、僕はあの高さから叩き落される。下の友達は苦しんで、震えてる・・・いつそうなってもおかしくない・・・

あの不安定な、人間ピラミッドの頂上にいる時は、ほんとに生きた心地がしなかった😱

もちろん、頂上にいる僕を支える友達も、それはそれは苦しかっただろう。そう、下にいる子供は肉体的な苦痛を感じ、上に行けばいくほど、精神的な苦痛を感じているのだ。

もう、あの人間ピラミッドは、上から下まで、み~んな不幸なのである💀

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・・・しかし、人はそれを見て、感動し、そして拍手を贈るのだ。

なぜ拍手をすると思う?

もしこれが、校庭にピラミッドの模型をポイと置いただけだったら、だれも感動しないし、拍手もしないだろう。そうじゃなく、あれが「苦しんでいる人間」だから、感動し、拍手を贈るのである。

まさに「痛みに必死で耐える姿は美しい」という思いだ。苦痛に耐える姿を賞賛している、これぞまさしく、

「苦痛信仰」

なのである・・・

で、これは運動会に限ったはなしじゃない。日常のあちこちに、この「苦痛信仰の信者」はいて、例えば、お仕事。いまだに、生産性よりも「労働時間」を重視する上司や経営者がいるのは、皆様ご存じの通りだ。

それから、「ラクして稼ぐ」ことに対して、悪いイメージを持つ人も多いと思う。じっさいに、ラクして稼いでる人をみたら「いつかバチがあたるぞ」なんて悪態をついたりして。

そして、もしも、「ラクで高給な仕事がしたい」なんて口にした日にはもう、周りから、非難の矢がいっせいに飛んでくるだろう。

でも、よく考えたら、ラクで高給な仕事のほうがいいに決まってるじゃんか!たしかに、そんな仕事はそうそうないかもしれない。けど、いち労働者として、それを求めることの、何が悪い?なぜそれを非難する?あんただって、ラクで高給のほうがいいだろ?

しかし、「ラクして稼ぎたい」を、なぜか忌み嫌う。絶対にそんなこと口にしちゃいけないみたいな雰囲気って、あると思うのだけど、これもまさしく、苦痛信仰だ。

それから、自分の懐が痛むわけでもないのに、生活保護や、傷病手当などの社会保障で生活してる人を差別したり、専業主婦や専業主夫の方を見下したり・・・

そういう思考も「苦痛信仰」からくるものだろう、

つまり、ラクして生活している(という思い込み)、苦労しないで生きている(という思い込み)のが、許せないのである。自分には何の関係もないのに、それだけは絶対に許せない。

苦痛を味わわずに生きてる人は、悪い人だ!と考える、とても熱心な「苦痛信仰の信者」なのだ。

(もちろん、生活保護や傷病手当などを受給されている方は、病気や障害で働けなくなった人たちなわけで、それがラクだなんて、とんでもない!むしろ、その病気や障害のせいで、とてつもない苦労をされているってことくらい、ちょっと考えたらわかりそうなもんだけどな💧)

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でももちろん、努力を否定するつもりはまったくない。僕だって、努力したからこそ得られたものはたくさんあるし、人が成長するときは、時に大きな苦痛をともなうことがある。努力したり、苦労したりしてる人は、どうか報われて欲しいって、心から思う。だけど・・・

絶対に間違っちゃいけないと思うのが、

苦痛の先にしか幸福はない

と思ってしまうことだ。それは絶対に違う。

僕自身、苦痛に耐え続けた結果、体と精神を壊し、命まで失いかけた。苦痛の先にあるものは、さらなる苦痛のこともある。苦痛信仰に惑わされ、やるべき努力を間違っちゃいけない。

・・・これは、経営の神様と呼ばれる「松下幸之助」さんの言葉。

「苦しかったらやめればいいし、無理をしてはならない。真剣に生きる人ほど無理はしない。無理をしないというのは、消極的な意味ではない。願いはするが、無理はしない。努力はしても天命に従う。これが、疲れないコツである。」

すべての患者さんや、そのご家族の皆様が、心穏やかに過ごせる日々が訪れることを、心より願っています。

✨最後までお読みくださって、ありがとうございます!✨

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コメント

  1. 七星文 より:

    おはようございます😃

    人間ピラミッド、私が通っていた学校では見たことがありません。
    どうも過去に怪我をした生徒がいたらしく、それで止めたらしいのです。
    そうなるまで止めなかったというのが日本の組織らしと言えばらしいですね。

    かくひさんの仰る通り、やる方は皆んな人間ピラミッドは嫌だったと思います。
    運動会の見栄えを良くする為だけの出し物にしか思えませんでしたし。

    組織の中では
    『皆んな苦痛に耐えて皆んなで幸せになろう!』
    なんて言うリーダーがいますが、私が勤めていた会社にもそんな人がいました。
    ただ鼓舞するだけの人。

    そんな人は人間ピラミッドで言えば監督側もしくは観客側なんだと思います。

    誰もピラミッドになっている生身の人間のことは考えていないんでしょうね。

    まさに今の社会を象徴していますね。

    • kakuhi-ts より:

      七星文さん☆☆☆☆☆☆☆
      いつもお読みくださってありがとうございます☆コメントいつも嬉しいです!!

      そうなんですね。。七星文さんの学校ではやってなかった、過去に事故があったのですね。。確かに、そういう犠牲が出て初めて対策する、日本社会らしいです。その事故に遭った児童が、後遺症なんかになってなければいいのですが。。

      そう、おっしゃるとおり、あれは大人の価値観の押し付けでしかない、しかも、参加しないのは悪者っていう、同調圧力そのものですよね。しかももし失敗した子がいたら、和を乱したって激しく責められる。得意じゃない子だっているはずなのに。

      そう!おっしゃる通り、まさに今の社会を象徴しているようです。あれを扇動する側は、まさしく監督側で、支配する立場の者。まるで「何も考えず支配者の言う通りにしろ、たとえ苦しくとも、口に出すな、みんな苦しくても耐えてるのだから!」というメッセージのようで、見ててぞっとしますね😱

      また七星文さんのブログにもお邪魔します!!
      いつもありがとうございます☆感謝してます♫